第91回 大江戸散歩の会 令和37

関東の故郷「浅草島(としま)」を歩く

「駒形堂~石浜城址公園~牛島神社」

今回のテーマ=何故「浅草」は「大化の改新」以前に開けたのか?

  【散歩道のご案内】

律令制度を基本とした日本国家改革の起源とされる「大化の改新」は飛鳥時代の645年のことです。一方、「淺草寺」の聖観世音菩薩像の発見はその17年も前の628年です。政治経済の中心であった奈良の都から遠く離れたローカルな武蔵国東端の「鄙びた浅草湊周辺」で何故これほど早く地域開発が行われたのか?これが今回の散歩のテーマです。
 江戸初期、江戸城の高みから江戸湊を眺めると見えてくる大きな島が二つあった。一つは眼前の「江戸の前島」であり、2つ目は左手の奥、本郷台地、上野台地のはるか先に微かに見える「浅草()(しま)」であった。
 当時、浅草は東京湾の一番奥深い入り江に当たり、古代より利根川、入間川(現:隅田川)などの大河が「石浜湊」や「浅草湊」に流れこみ、その侵食の過程で「石浜~浅草~鳥越の丘」の約5キロにわたり堤防状の自然微高地(平均3.5m高)が形成されたと推定されます。上野台地と浅草外島の間には「千束池」「姫ケ池」「長江の渡」など広大な湿地帯が広がっていました。(下図資料を参照)
 この堤防上の自然微高地の上に「浅草寺・待乳山聖天・鳥越神社・石浜城・石浜神社」などが創建され、「古代東海道・奈良官道の敷設」「源頼朝の隅田川渡河(鎌倉幕府の成立)」「新田義興と足利尊氏の争い」など数々の歴史ドラマが展開された歴史的要衝の地でありました。
 関東でいち早く600年代初期に歴史を開いた浅草湊周辺の発展は「良好な浅草湊」+「湿地帯の微高地」という特殊な地理的・地形的な条件がその理由として挙げられます。今日は江戸の先輩である裏浅草をじっくりと歩きながら、浅草の歴史の深さを実感したいと思います。また、名刹古刹が多い浅草でコロナ退散を念じつつの散歩としましょう!!

【開催日・集合場所など】

◆開催日=前日土曜日が好転で開催日の日曜日が雨天予報の場合は土曜日に開催します。

1回目 令和3年7月4日(日)   最低参加人員8人  定員=18人

1回目 令和3年7月11日(日)   最低参加人員8人  定員=18人

1回目 令和3年7月18日(日)   最低参加人員8人  定員=18人

雨天中止の代替日=7月19日(月)休日  最低参加人員8人  定員=18人

◆参加費=1人1,900円(資料代・ガイド料・諸経費)小袋に入れて。釣り銭は無し

◆集合場所=メトロ銀座線・都営地下鉄「浅草駅」A5出口を出た歩道 会の手旗が目印
         (A5出口は東京メトロ、都営地下鉄の共通に使える出口になっています)

◆集合時間=午前10時15分集合・10時20分出発

◆解散=午後4時頃「隅田公園」で解散メトロ銀座線・都営地下鉄「浅草駅」へ

◆ランチ=石浜城址公園で「持参ランチタイム」 昼食持参のことコロナ対策

◆最終連絡=各開催日前日の19時に会のホームページに「最終連絡」を掲載します。

◆緊急連絡=080-9712-1337(管理人:伊藤まで)

【散歩道の順路】
「浅草駅」A3出口➡駒形堂(浅草発祥の地)➡雷門➡浅草寺T➡浅草神社➡二天門➡花川戸公園T➡九品寺➡浅草猿若町(江戸歌舞伎三座跡)➡待乳山聖天(金龍山発祥地)T➡本龍寺(弾左衛門ゆかり)➡今戸神社(沖田総司終焉地)➡称福寺(亀田鵬斎・松本良順ゆかり)➡山谷堀公園(休憩)T➡遍照院(葛飾北斎終焉地)➡長昌寺(正観世音像安置)➡保元寺(奈良時代創建の古刹)➡妙亀塚(梅若伝説の塚)➡松吟寺(お化け地蔵)➡平賀源内墓所➡石浜城址公園T(千葉氏の居城跡・ランチ・休憩)➡石浜神社➡橋場の渡し跡(在原業平ゆかり)➡対鴎荘跡(三条美ゆかり)➡白鬚橋➡墨堤通り➡白鬚神社➡子育地蔵➡幸田露伴旧居「蝸牛庵跡」➡鳩の街商店街➡隅田公園少年野球場(王貞治ゆかり)➡長命寺T(三代将軍徳川家光ゆかり、桜餅を食す≒350円)➡弘福寺(森鴎外・勝海舟ゆかり)➡三囲神社(三井家守護神)➡牛島神社(本所総鎮守)➡隅田公園T(解散)・・・➡地下鉄「銀座駅」へ

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浅草外島(としま)とは

3~7世紀の隅田川沿岸 6世紀頃の鳥越古墳、摺鉢山古墳が作られる 645観音堂建立 745~49武蔵国豊島郡建置、